2009.9.19.
今年だけのシルヴァーウィーク(秋の大型連休)初日は,大学の用事で広島に行きました。
縮景園を超えて,県立美術館を過ぎると,広島城址
その手前には池田勇人総理の銅像がありました。
大槻が子供の頃は所得倍増計画・・・池田勇人総理の時代でした。
まぁ,当時のつけは,今のアスベスト問題や公害にも出てはいますが・・。
お堀を眺めた後・・入って行きましょう!
丁度,裏御門から入る形になりますけれど・・・。
城跡は,公園の様になっていますが,天守閣は再建されてあります。
そしてここは,明治の頃の大本営跡だそうです・・。
木々の間から,天守閣がみえています。
いくつかのお城の建物の後は,残っているようですね・・。
そして天守閣へ・・・さすがに連休で,観光客も多いです。
お城の中は,展示館になっています。
昔の生活の名残とか・・。
そして,HIROSHIMAと云えば,原爆です・・。
今回は,爆心地をよみがえらせるDCGの映像の展示などもしてありまして,それは結構,興味深いものでした。23分のDVDを閲覧させてもらいました。
天守閣からは広島の街が一望です。
原爆ドームも眺めることができます。
外国人観光客・・・それも仏語とか,独語も聞こえていました。
岡山・烏城でもありましたが,昔の甲冑などをも装して,写真撮影もあります。
結構,楽しんで・・・で,また,お堀づたいに・・歩いて行きましょう。
今日の会場はお城の近くの,リーガロイヤルホテルですし・・・。
お堀に沿って・・
で,毛利輝元・・・そして,福島正則・・と,なかなか,有名な武将が城主だったそうですね。
(翌日の日曜の大河ドラマでは,丁度関ヶ原をしていました。
【天守は連結式と呼ばれるもので特に複合連結式ともいい、大天守から渡櫓で2つの小天守を南と東に連結するものであった。望楼型で黒漆塗りの下見板が張られた壁面は豊臣秀吉の大坂城天守を模したともいわれ、屋根には金箔瓦が施されていたともいうが、内部は天井も張られていない簡素なものであったという。明治期に小天守を失い、大天守のみが保存されることとなり、戦前は他の現存する建造物とともに旧制の国宝に指定されていた。太平洋戦争末期の原子爆弾投下の際には、爆発時の熱線に耐えたものの、その直後の爆風によって倒壊し、大量の建材が天守台や北側の堀に散乱したという。建材のその後に関しては定かではないが、生活に困窮した市民が使用したという証言があるほか、被爆者を救済するため、瀬戸内海の製塩業者に建材と塩を広島市が交換したともいう。公式文書には、このことは一切記されていない。現在の大天守は1958年(昭和33年)に「広島復興大博覧会」が開催された際、鉄骨鉄筋コンクリート造で外観復元された】
とのことです。
結構,広いですが・・中洲をお城にしたそうですね・・広島は,そういえば,結構,川が多く集まってもいますし・・。
花の精のモニュメントが見えます・・。
この辺りから,原爆ドームの辺りは,アリーナやと緒管や美術館や・・・緑や文教施設が多いところの様です・・。
二の丸跡と,正門である御門が見えてきます。
会場のリーガロイヤルホテルとか,広島市民病院がよく見えています。
東南の端の「広島城址」は倒れたままでした。
天気がよくって,すがすがしい日です。
とっても汗ばむくらいです・・。
そして,二の丸跡などに多聞櫓や太鼓櫓跡に,入ってみます。
広島って何回も来てますが,お城跡は,ここまで時間をかけてみたことなかったかも?
御門も立派なものです。
築城当時は,大阪城にも匹敵するくらいの大きさだったらしいですが・・・。
外国人だって,写真は撮りますよね・・・。
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これで,お城の外に出たってことで・・。
花の精の像の辺りへブラブラと・・。
天守閣をよく眺めることが出来るスポットですね。
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道を挟んで西側には,県営・市営のアパートや高層マンションがありますが,そこには,広島城の別名・鯉城の森っていうのがありました。
銅像もあります・・。
加藤友三郎氏・・・
【加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、文久元年2月22日(1861年4月1日) - 大正12年(1923年)8月24日)は、日本の海軍軍人、政治家。第21代内閣総理大臣。元帥海軍大将・正二位・大勲位・功二級・子爵。同じく海軍大将であった加藤隆義は養子。】
です。
【ワシントン会議に全権代表として臨んだ加藤を、各国の記者などはその痩身から「ロウソク」と呼んで侮っていたが、海軍の代表であり八八艦隊計画の推進者でもあった彼が、米国発案の「五五三艦隊案」を骨子とする軍備縮小にむしろ積極的に賛成した事が「好戦国日本」の悪印象を一時的ながら払拭し、彼は一転して「危機の世界を明るく照らす偉大なロウソク」と称揚されたという。】
とか・・・。
【海軍でも1、2の酒豪で知られ、総理在任中も飲み過ぎで大腸ガンにかかり他界したのでは、とまで言われた。その加藤の亡骸は、元帥府に列せられ、海軍葬に付せられることになった。現在、東京都港区の青山霊園を墓所として埋葬されている。また、広島市南区の比治山に銅像が建てられたが、太平洋戦争時の金属回収令で取り除かれたままにされており、主なき台座が寂しく立っている。なお、広島市中区の中央公園内に、ワシントン軍縮会議時のフロックコート姿の加藤の銅像が新しく建立され、没後85年に当たる平成20年8月24日に除幕式が行われた。】
などの情報がありますが・・・あれ,この銅像は建立後丁度1年ってところですね。。。
鯉---ってかお城っていうか,広島カープっていうか・・。のモニュメントも!
自由広場は,本当に広い空き地になっていますね・・。
チュンちゃんたちも楽しそう!
いくつかの碑を眺めてから。地下道で,市立図書館から「ひろしま美術館」の方へ向かいます。
緑一杯の空間になっています。
図書館の辺りですね・・・。
そして,美術館まで来ると・・・横断歩道の向うが,リーガロイヤルです。
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